新十津川町獅子神楽

伝承年・伝承者  純粋=明治32年。中川三之丞氏、山本十吉氏、高桑伝次郎氏ら。
 新派=大正5年。藤井石松氏、油井太一郎氏、尾山重太郎氏ら。
伝承元  富山県利賀村栃原(現南砺市)。
 新派は富山県高岡市立野か?
 砺波型1列。一頭立て。頭は中に入る。小学生の舞は2〜3頭。
獅子の形態  胴幕の中は5人。長さは6m。胴幕の色は青を基調としている。
 小学生用の胴幕はそれよりも短めである。
獅子取りの形態  『純粋』=一人で、演目により刀、長刀、棒、鎌を持つ。
 『新派』=一人はバイガイシ、キリカイシ、ヨッサブリ、ヤッサブリ、七五三。
       二人(時に三人のこともある)はギオンバヤシ、フタアシ。
  手には両端に房のついた「采配(サイハイ)」と呼ばれる棒を持つ。手ぬぐいを持って獅子をあやす舞もある。
囃子方の形態  笛(横)、太鼓、鉦

  新十津川町獅子神楽は、砺波型の百足獅子で、昭和58年3月1日に、新十津川町無形文化財に指定されている。 

  新十津川町は、元々奈良県十津川村から移住開拓した人々が開いた町である。しかし明治期の若者衆が娯楽を求めていたときに、
中川三之丞氏、山本十吉氏、高桑伝次郎氏らが中心となって、彼らの出身である富山県の獅子舞を伝え、現在に至っている。


  舞の種類は、武器を持って獅子と戦う『純粋』の舞と、獅子と戯れる『新派』の2種類がある。『純粋』は明治32年から伝統的に伝わる舞
で、利賀村栃原から伝えられた。現在栃原地区は人家が無く、舞を伝える者がいない。しかし、栃原より井波町安室<あじつ>(現南砺市)に移り住んだ人たちが、当時の舞を継承している。したがって、現在『純粋』の舞は「安室獅子舞」として残っている。対して『新派』は、大正5年頃に新たに加えられた舞である。伝承経路に至っては、越後獅子から伝わった、または砺波のある地区から伝わったなど様々な伝承説があり、場所が特定することはできないようである。ただし、舞の演目から判断すると、高岡市立野あたりから伝承されたとする説が有力であるように思われる。

 
  同じ利賀村からは、栃原から新十津川町へ伝わったほかには、下原から厚田村(現石狩市)望来<もうらい>へ「望来獅子舞」が伝え
られている。

 

新十津川神社例大祭にて
(『フタアシ』)
演  目
☆「純粋」は全て同じ曲ですが、「新派」はそれぞれ微妙に異なります。※2012年9月4日撮影
純      

 

 

 

 

 棒

 2m程の棒を使い、獅子に挑む舞である。棒は黒色で、上と下を交互に持ち替える。

長刀

 棒と比べると派手な動きはないが、細かく鋭い動きをする。

 鎖鎌を使い、獅子に近づきながら舞う。純粋の中では一番踊りが大きく激しい。

 純粋で最も機敏な動きをする。演目の前、刀は初め鞘に収めてあるが、曲が始まると同時に抜く(鞘はもう一人が獅子取りの後ろで持っている)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ギオンバヤシ

 舞獅子で、大きな動きはないが新派の中では軽やかさが目立つ。

バイガイシ

 新派の中でも、曲の調子がやや異なり軽やかである。獅子取りは後ろ向きになり、自分の足を獅子頭の足元に交互に入れて舞う箇所があり、動き自体は激しい。

キリカイシ

 新派の中で、獅子取りが最も激しく動く舞である。曲に合わせ左右に一回転しながら飛び上がる箇所は、圧巻である。

フタアシ

 獅子取りが先導をしながら、獅子も前進する動きを見せる舞である。神社境内に行列で入場した後も、拝殿までフタアシで行進する。

ヨッサブリ・
ヤッサブリ

 ヨッサブリでは手に手拭いを持ち、獅子をあやす舞をする。ヨッサブリとヤッサブリは、続けて舞われる。ヤッサブリは、軽快なリズムで激しく動く。

七五三

 獅子取りの舞に緩急が見られる舞である。

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